年末年始の営業について
長いコロナ禍が続いていますが、この年末年始では2年ぶりの帰省をされる方も多くなっている様です。
当院でも帰省時に施術を希望されるお問い合わせをいただくようになりました。
ご希望に応じて、年末年始も予約可能時間を設けておりますのでお問い合わせください。
皆様のご健康をお祈りいたします!
当院でも帰省時に施術を希望されるお問い合わせをいただくようになりました。
ご希望に応じて、年末年始も予約可能時間を設けておりますのでお問い合わせください。
皆様のご健康をお祈りいたします!
ふじとまんぢゅうこうてきました。
源平藤戸合戦で知られる藤戸にある藤戸饅頭本舗で「藤戸まんぢゅう」を買ってきました!
「むらすずめ」と並ぶ倉敷銘菓で、甘酒に小麦粉を混ぜた薄皮でこしあんを包んで蒸した酒饅頭です。
日本三大饅頭とされている大手饅頭より知名度は劣りますが、倉敷っ子にはソウルフードと呼べるお饅頭です。
大手まんぢゅうの賞味期限7日に対して、藤戸まんぢゅうは賞味期限が3日と短いので遠方のお土産にはしにくいかも。
酒粕から作った甘酒を使った藤戸まんぢゅうの薄皮は少し厚みがあり風味豊かで、あっさりしたこしあんとの相性が良いです。
本店ではバラ売りもありますので、お近くへお越しの折には是非お試しください!
宇宙戦艦ヤマト2205
ちょっと前の事ですが、10月17日(日)に「宇宙戦艦ヤマト2205新たなる旅立ち 前章-TAKE OFF-」を観てきました!
コロナ禍で劇場上映が延び延びになっていたからなのか、上映館が少なくイオンシネマ岡山では上映しないので、イオンモール倉敷のMOVIX倉敷に行きました。
特別上演という形体で大人も子供も一律1,700円で、一切の割引もありませんでした。
1974年からTV放映され、小学生の頃にリアルタイムで毎週観ていた僕ら世代には、宇宙戦艦ヤマトは人類が滅亡するかも知れないという衝撃的なアニメでした。
宇宙戦艦ヤマトがイスカンダルへの旅をしたのが2199年、今回の物語が2205年、たった7年しか経っていませんが...
小学生だった僕らは50歳近く歳をとってしまいました!
古代くん、森さん、健在です!
まだ結婚してません!
さて、内容には触れませんが、面白かったですよ!
ウチの中1息子も楽しんでいました。
後章-STASHA-は年明けの2月4日に劇場上映封切りです。
必ず観に行きますますよ!
たびゅーはきょーる。
前回に続き、岡山弁のお話です。
今回は「足袋」についてです。
前回でも説明したように、岡山弁では名詞に格助詞「は」「を」「に・へ」が接続する時は前の名詞と融合して発音される。これを名詞の曲用と見ることもできるとされています。
「足袋」で名詞の曲用があると、
たび(は)→たびゃー
たび(を)→たびゅー
たび(に・へ)→たびー
と発音します。
ですから題名の「たびゅー」=「たびを」となります。
(たびゃあ、たびゅう、たびい、と表す向きもありますが、ここではウィキペディア岡山弁にそった表記をしています)
では、「はきょーる」の説明ですが...
標準語では、動詞の進行態を「〜(し)ている」と表現しますが、岡山弁では「〜ょーる(ゅーる)」と言いますので...
「履く」の進行態「はいている」が「はきょーる」となります。
(仮定型は「はきゃー」ですが、岡山弁の活用を説明し始めると沼にハマります...)
ちなみに、
「読む」の進行態は「よみょーる」
「起きる」の進行態は「おきゅーる」
となります。
「読む」の仮定形は「よみゃー」
「起きる」の仮定形は「おきりゃー」
ですが、やめましょう...
岡山弁の沼にハマります...
ただし、ここからがややこしい所です!
【アスペクトの区別】
標準語では「動作の進行を表す相(アスペクト)」と「完了や経験などのほかの相」を、いずれの場合でも同じ「〜(し)ている」と表現します。
ですが、中国方言・四国方言・九州方言では「進行相」と「完了相その他」とに対して別々の表現をするのが普通です。
岡山弁では前者を「〜ょーる(ゅーる)」、後者を「〜とる」と区別します。
「履く」の「進行相」が「はきょーる」
「履く」の「完了相その他」が「はいとる」
となるのです。
すなわち、
標準語で「履く」の進行態「履いている」では、「履いている途中」なのか、あるいは「履き終わったorすでに履いていた」のかの区別がありません。
岡山弁では「履いている動作の途中」を「はきょーる」、「履き終わったorすでに履いていた」を「はいとる=へーとる」と区別があります。
したがって...
「たびゅーはきょーる」とは、「今、足袋を履いている途中ですよ」となります!
岡山弁って、なかなか奥深いでしょう!
前出の
「読む」の「進行相」は「よみょーる」
「読む」の「完了相その他」は「よんどる」
「起きる」の「進行相」は「おきゅーる」
「起きる」の「完了相その他」は「おきとる」
となります。
さて、NHK朝ドラ「カムカムエヴリバディ」
雉真千吉役の段田安則さんは見事に岡山弁を扱っておられます。
セリフは全国的に理解され易いようにマイルドな岡山弁になっていますが、「足袋」の名詞曲用を上手に言い分けていました。
回復しつつあった安子の父「橘金太(甲本雅裕=岡山市出身)」と千吉の会話より...
金太
「そうですか、雉真さんの本社工場も...」
千吉
「じゃけど、水島の工場は無事で“たび”(曲用無し)の生産を続けとります。
うちは戦時中、軍の仕事を請け負うとりましたから、良う思わん人もおるでしょうが、”たびゅー“(足袋を)作り続けた事を評価してくれる人もぎょうさんおってくれます。
いずれ稔が帰って来たら”たびー“(足袋に)学生服に加えて、何か新しい事業を始めよう思うよります」
金太
「早よー戻られるとえーですなー」
千吉
「算太さんも...」
2人の父親が、縁側で息子達の帰還を願うのでした。
穏やかな復活をイメージするシーンでしたが、この後の展開に視聴者は絶句し涙しました...
おはぎゅーこうてきました。
NHK朝ドラ「カムカムエヴリバディ」
岡山を舞台として絶賛放映中で、あんこと岡山弁に彩られた物語となっています。
さて、先日らい「おはぎゅーこうてきました」といろいろな所で言っていると、「岡山弁では、おはぎの事を“おはぎゅー”と言うのか」と勘違いする方がいらっしゃいました。
岡山弁でも“おはぎ”は“おはぎ”です。
奉還町4丁目の出水松月堂さん
まず、岡山弁の特徴ですが...
岡山弁のアクセントは、東京式アクセントの体系を持っており共通語と同一とされていますが、苗字や名前などのアクセントの違いは大きいようです。
言葉に長音と聞こえるものが多く、「連母音融合」と言われる、連母音が現れると、その部分が融合し母音の長音に変化する場合が多々あるが特徴です。
(ウィキペディアを参照して説明します)
長い→なげー
ちょうだい→ちょーでー
お前→おめー
青い→あえー
すごい→すげー
暑い→あちー
きつい→きちー
などがありますので、語尾を伸ばす言葉が多くなります。
その他、語尾の変化が様々あったり、きつく聞こえる言葉も多いようです。
さて、本題の“おはぎ”は名詞ですので...
名詞では、格助詞「は」「を」「に・へ」は前の名詞と融合して発音される。これを名詞の曲用と見ることもできるとされています。
水は→みざー
水を→みずー
水に・へ→みじー
菓子は→かしゃー
菓子を→かしゅー
菓子に・へ→かしー
おはぎは→おはぎゃー
おはぎを→おはぎゅー
おはぎに・へ→おはぎー
足袋は→たびゃー
足袋を→たびゅー
足袋に・へ→たびー
なので、「“おはぎを”買って来ました」→「“おはぎゅー”こうてきました」となるのです。
【おはぎの曲用の例】
「“おはぎは”有りますか」→「“おはぎゃー”ありますか」
「“おはぎを”ちょうだい」→「“おはぎゅー”ちょーでー」
「“おはぎに”きな粉かけようか」→「“おはぎー”きな粉ーかきょーか」
カムカムエヴリバディのセリフでは...
【おはぎの曲用の例】
(憔悴した父金太に安子が...)
「お父さんのあんこが食べてー。
お父さん、いっしょにおはぎゅー(おはぎを)作って、お母さんらー(お母さん達)に、お供えしょーえー」
【おはぎの曲用なしの例】
(久々に金太が作ったおはぎを見て安子の姑美都里が...)
「おはぎやこー(おはぎなんて)、久しぶりじゃねえ。...あら、ルリちゃんも食べてん(食べたいの)かな」
次回につづく...
三穂神社(奈義町関本)
8月1日の鳥取への釣行の帰りに奈義町関本の三穂神社(みほじんじゃ)を参拝しました。
国道53号線沿い西側に(鳥取方向に向かうとループ橋の少し手前の左側になります)、三穂太郎満佐(さんぶたろうみつすけ)の像があります。
※三穂太郎満佐については前記事をご参照ください。
これは東側にある看板。
美穂神社(みほじんじゃ)は島根の美保神社から事代主命を分祀され建立、その後三穂太郎満佐公の御霊を合祀され御祭神とされています。
天神さま菅原の朝臣道真公の13世後胤とされる三穂太郎満佐は「さんぶ太郎巨人伝説」のモデルになったと言われています。
美作地方で勢力を広げた「美作菅氏」の惣領で、中世の武士集団「美作菅家党」の基礎を作ったと伝わっています。
1234年に満佐は作用郡で赤松久範と戦い討ち死にし、五体をバラバラにされます。
そのうち頭を当神社で祀った事から通称「こうべさま」と呼ばれ、満佐公の鎮魂と往年の偉業を讃えています。
三穂太郎満佐(美作菅氏)
三穂太郎満佐(1182年〜1234年)は本姓では菅原満佐といい菅原朝臣道真公13世孫とされています。
さんぶたろう巨人伝説(那岐山の頂上に腰を降ろして瀬戸内海で足を洗い、京の都まで3歩で行った。母親は大蛇であるなど)のモデルになったと言われています。
ダイダラボッチ、神子・獣子伝説などミックスされたような伝説です。
天神さま菅原道真から数代後の知頼が美作守となり任国に下るが在任中勝田郡で死去。
その子真兼が押領使となり以後土着して美作菅氏の祖となる。
知頼→真兼→尚忠→仲頼と続き、仲頼の三男が「太郎満佐(みつすけ)」です。
三男なのに太郎と称するのは、母親が2人の男子を連れての再婚であったために父仲頼にとって初めての実子だからとされています。
満佐は武家として中世(鎌倉時代から室町時代)に美作地方で活躍した「美作菅家党」の基礎を築きました。
満佐の7人の子らが菅家七流と呼ばれる「有元・廣戸・福光・植月・原田・鷹取・江見」と名乗り有元氏を頭領とし「美作菅家党」と称する武士団が形成されました。
その他の派生した132氏を包括して「美作菅氏」とされており、有元氏を惣領家として中世の豪族集団となります。
この美作菅氏から派生した氏族には加賀前田家、柳生家、宇喜多氏の重臣戸川家などもあります。
美作菅氏の宗家であり美作菅家党の頭領と言える家系がいつから有元を氏としたのかも諸説あるようですが、「菅原満佐=有元満佐=三穂太郎満佐」は文武勇に優れ統率者として秀でた人物であったようです。
しかし、1234年に満佐は作用郡で赤松久範と戦い討ち死にし、五体をバラバラにされます。
頭部(こうべ)は奈義町関本の三穂神社(みほ神社、通称こうべ様)、胴体(あら)は奈義町西原の杉神社(通称あらせき様)、足は奈義町成松の諾神社(なぎ神社)、腕肩(かいな)は智頭町土師の河野神社(通称にゃくいち様)、右手(うて)は美作市右手の三社大明神(うて大明神)にそれぞれ祀られています。※足・右手には異説あり
強い者、怨みを持つ者などは神として祀るのが古の習わしで、地元では神として、あるいは異能の巨人として伝説となったのかもしれません。
※(菅原氏と美作の繋がりや菅家七流、美作菅家党の形成過程には各家の伝承の違いにより諸説あるようです。
有力家による主導権争いや離合集散があったため、系統の書き換え等があったのではないかと思います。
ここでは有元家家伝を元にしています)
美作菅氏は支流まで通字として「佐」を、家紋は梅鉢紋を使用する場合が多かったようです。
さて、満佐の父仲頼の母と浄土宗の開祖法然上人の母は実の姉妹です。
すなわち満佐の父仲頼と法然上人は従兄弟となります。
法然上人の生家は漆間(うるま)氏と言います。
後年、満佐から6代後の有元佐常が漆間氏の一族に養子入りし、家督を継いだ後に家名を「菅納」と改姓します。
菅納氏は漆間氏系豪族として立脚し、菅家党と行動を共にしたわけでは無いようですが、江戸時代になると有元家などと同様に庄屋・豪農として家系が続きます。
明治期になり久米郡福渡村下神目の菅納本家の医師・地方議員である菅納實(みのる)氏からは家名を「菅」(かん)としたようです。
實氏の長男が寿雄(ひさお)氏、寿雄氏の長男が第94代内閣総理大臣菅直人氏となります。