セラピスト・ラプソディー♪ ~真の健康をめざして~ -2ページ目

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年末年始も開院しております。

長いコロナ禍が未だ続いています。
心と身体のバランスを崩し、不調に悩まされている方も多くなっているようです。

健康が1番の財産です!

この年末年始でお時間のある方はお身体の調整・回復をして新年を迎えていただきたいと思っています。

岡山へ帰省時に調整に来訪される方も多々おられます。

ご希望に応じて、年末年始も予約可能時間を設けておりますのでお問い合わせください。

12月31日、1月1日も一定時間開院しております。

皆様のご健康をお祈りいたします!😄

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玄そば一本挽き 石関(岡山市北区石関町)



今日のウォーキングは岡山神社へ。暖かな陽射しで気持ち良い参拝ができました。⛩




その後石関町に今年4月にオープンしていた「玄そば一本挽き 石関」でお蕎麦を食してきました。




いつもながらの昼食時間で、もう14時になっていたので二八は売切れで「粗挽き」しか残ってませんでした。

(今日はお客様が多かったらしい)


玄蕎麦なので殻つきの蕎麦の実、それを粗挽き。

つなぎ粉が1割5分。


蕎麦の風味がよくわかり、咬むと歯当たり良く甘味を感じる。

細切りの好みのお蕎麦です。😍


テーブルに粗塩があるので、塩で食べるといっそう甘味を感じて美味!


麺つゆは関西風のあっさりした感じ。

もう少し濃いめが好みですが、ココは割子蕎麦や釜揚げ蕎麦があるので出雲系なのでしょう。


そば湯は蕎麦徳利で出てきました。











また温かいお蕎麦も試してみたくなりました!😍






オリエント美術館の向かい(岡山県歯科医会館の隣)にあるキレイで小ざっぱりしたお店です。

4人掛けテーブル1卓、2人掛けテーブル4卓、カウンター2席、外光が差し込み暖かな雰囲気。

接客も感じ良しでしたわ!😍

千喜吉庵と時蕎麦のお話。



先週の事ですが「手打そば千喜知庵」(せんきちあん)さんでお蕎麦を食べました!




中山下にあるオシャレなカフェを思わせるような小ぢんまりとしたお店です。




もう午後2時を過ぎており十割は売切れだったので二八のもりそば。

薄いく綺麗な色合いの歯ごたえの良いお蕎麦。

鰹風味の効いた濃いめの出汁が控えめな量。

台風の影響でワサビが入荷しないとの事で柚子胡椒と練り唐辛子が薬味。

これもありですな!😍







さて、午後2時となると昔で言う「八ツ時」。

おやつ代わりのお蕎麦となりました。


落語「時そば」では夜中12時(九ツ時)に蕎麦を食べる。


一六文の勘定で客が「一、二、三、四、五、六、七、八、今なんどきでぇ?」

店主「へぇ、九ツでございます」

客「十、十一、十二....」と1文ごまかし得をする。


それを真似た与太郎が。

「一、二、三、四、五、六、七、八、今なんどきでぇ?」

店主「へぇ、四ツでございます」

「五、六、七、八...」

と4文損するお話しです。


与太郎は一刻(2時間)前の午後10時に蕎麦を食べたわけですな。😅

午後10時が夜の「四ツ」ですが、これが子供の頃は分からなかった...


一刻が2時間ですが、日の出日の入りにより変動する。


日の出が「明け六ツ」

日の入りが「暮れ六ツ」


昼を6等分、夜を6等分。

0時=夜九ツ、

そこから一刻(2時間)づつ数が減ります。

2時=八ツ、

4時=七ツ、

6時=(明け)六ツ、

8時=五ツ、

10時=四ツ、


そして

12時=(昼)9ツ。


そこから

14時=八ツ、

16時=七ツ、

18時=(暮れ)六ツ、

20時=五ツ、

22時=四ツ。

(春分・秋分で昼夜が均等な時刻。0時と12時は年中変わりない)


すなわち、三ツ、二ツ、一ツは無いのですな。


0時、正午が「九」なのは1桁の1番多い数字が縁起が良いとされた。

9から4になり、9に戻る。


この他に十二辰刻(干支による区分)が加わる。

(正午は牛の刻の真ん中)


現代人には難解ですが、江戸のお人達は頭が柔らかかったんでしょうね〜!🤗


10月25日小早川秀秋公菩提寺「瑞雲寺」参拝のウォーキング

10月25日火曜日のウォーキングは番町2丁目の「瑞雲寺」を参拝。
その後に伊勢神社〜ベネッセ本社横〜岡山商大付属高校〜西口筋を帰ってきました。
5km=60分です。



瑞雲寺は「金吾中納言小早川秀秋公」の菩提寺です。
(金吾は唐風の官職名で、水戸光圀=黄門、源頼朝=武衛、源実朝=羽林などがある)



後世の伝記物、時代小説などで「裏切り者」との汚名を着せられてしまった悲劇の武将。

3歳で後継者候補として豊臣秀吉の養子となり、秀吉に実子秀頼が誕生・成長と共に冷遇され始め、先に養子となり第2代関白となった秀次(秀吉実姉の子)が粛清・一族斬首。

そんな経緯の末に関ヶ原合戦。
徳川家康にも恩義がある中で、
叔母北政所おね、実父(おねの兄)木下家定や実兄木下利房らは中立。

新たな養子先の小早川家の宗家毛利輝元にしても名目上の西軍総大将に過ぎず、毛利三家の吉川広家は東軍に近く。
小早川家内も養子秀秋に反目する者が多々。

19歳の青年藩主の心持ちはどうであったのか?
(10代前半で飲酒過多だったらしいが)

山号は黄門山、中納言の唐風通称「黄門」に因むものか。






「瑞雲院殿前黄門秀厳日詮大居士」

昭和52年10月18日第三百七十五回忌の碑


「違い鎌」は小早川秀秋の旗印




いずれにしても岡山移封2年、21歳で病没。
早世の悲運の藩主ですが、岡山に名残が多々あります。

実父実兄の足守藩木下家は幕末まで続きます。